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アニメーションという表現を教えてくれた人―高畑勲―
2018/04/08(Sun)
アニメーション監督の高畑さんについての記事です。

いつもは不特定多数の人に向けて、なるべく分かりやすく気をつけて文章を書いていますが、今回は想いのままです。
失礼な表現もあるかと思いますが、ご容赦ください。

調整、気を遣うと、うそになるのでそのままにしました。

 私は、かつてアニメーションという表現を知りませんでした。

 16歳の時に岩明均さんの「寄生獣」と、塀内夏子さんの「オフサイド」を読んで衝撃を受け、自分は漫画家になるんだ! と決めて、しかしとぼとぼ、うろうろ、怠けたり、見当違いの方向に進んだり……。
 けっきょく、へたくそな鉛筆漫画をいくつか描いたのみで高校を卒業し、……自分はなにも知らない、描く以前に勉強だと、当時どこかで目にした手塚治虫さんの言葉、「一流の本を読み、一流の映画をみて、一流の音楽を聴け」を思いだし、バイトをしながら、毎日レンタルビデオ店で借りてきた映画をみる……という生活を始めました。

 すると今度は、「映画とは、なんて素晴らしいんだ! ……漫画より映画だ!」と浮気根性を発揮し、当時始めたインターネットで映画制作の集いに顔を出し、でもうまくいかなかったり……。いまに至るまで、映画を撮る、またはその集団に身を置き、制作に参加する、ということはないものの、脚本や画面構成の勉強を重ねつつ、いつか映画を創りたいという意識を持ったまま、いまに至ります。

 優れた漫画や小説を読んだり、映画をみたり……。けれどそのとき、二十歳前後の若いころまで、私の中にアニメーションというものは存在しませんでした。なぜかというと、私にとって「アニメ」というのは、週刊少年ジャンプや、その他大手漫画雑誌を元にした、ゴールデンタイム等にテレビで放送する「動く漫画」であるにすぎなかったからです。

 あくまで、漫画の派生的な存在。アニメーションという言い方も、知ってはいても、使ったことはなかった。優れた表現を創るんだ! という志はともかく視野狭窄、無知無教養無技術の、当時の私にとって、「アニメーション」は心体のどこにも存在しなかったのです。

 そんなある日。深夜のバイトで疲れ果てて、朝方眠ろうとした私は、ふとテレビをつけました。朝の子ども向けの、テレビアニメがやっていました。ぼんやりと見ていると、「赤毛のアン」というアニメが始まりました。リアルタイムなわけがないので、ああ、再放送ね。あの「ハイジ」とかの、世界名作劇場の……。
 それくらいの意識でチャンネルをそのままにしていました。そして視聴終了。なにか心に引っかかる。

 次の日も、なんとなくみる。その次の日も……。そしていつの間にか、真剣に、食い入るようにして画面をみつめていました。

 ……なんだこれは。テレビアニメ? 子ども向けの? ……とんでもない作品じゃないか!! 監督は誰だ? 高畑勲? ……知らん。誰だ……。

 あとで調べると、ハイジの監督であり、三千里の監督であり、よく見ていたじゃりん子チエの監督。アンをすべて見終えたあと、ハイジやチエも見返しましたが、心が震えた。……すごい! これが、これこそが表現だよ! アニメーションか……。アニメーション! うん、すごいぞ!!

 こうして、私の中に「アニメーション」という、すばらしい表現が加わりました。宮崎駿さんという、優れたアニメーション作家も。高畑さんのアンをみなければ、宮崎駿さんの存在も、私の中に入ることはなかったのです。

 高畑勲というと、つよい関心のない人は、「火垂るの墓」や「ハイジ」の監督、さらに、アニメーションにまったく関心がない人だと、くだんの二作品を知らない、知ってはいても、監督が高畑さんであることは、知らないのではないかと思います。

 若い当時は、ものすごく腹が立っていた。こんな優れた監督を知らない? ふざけるな!! ……自分も知らなかったのに。

 いまはとくに、なにも思わないというか、ゆるぎない作品があって、その作者、中心的創作者の名が知られなくても、作品があるからいいんだ。と思うようになりました。


 ジブリ時代の作風や、インタビュー、書籍などから、高畑さんというと、理屈の人、エンターテインメントというより、メッセージ派、社会派、芸術家、というイメージを持っている人が多い気がします。

 それらは間違いではないのですが、ほんとうではありません。私は、高畑さんは、ものすごく単純な想いを単純に実現しようとしただけで、根本にあるのは自分が美しくいとおしいと感じたものをあらわにしようという、つまりほかの表現者となんら変わらない、想いの人であると思っています。

 深い知性感性、教養からくる現実認識が前面に出ているだけで、それらの奥にはこどものような、生命に対する愛情があふれている。一日一日をたいせつに、風光、草木花虫の声に心を躍らせ、みずからの生を味わい、自分をとりまく生を全身で感受し……「生きる」ということを、その素晴らしさを心から理解していた人だと、私は思っています。

 そのいっぽいう、いや、それだからこそか。高畑さんのえがく主人公は、皆、自尊心がつよく、頑固で意地っ張りで……。理屈、打算、世間擦れした大人とはほどとおい、少年期を手放さない人物ばかりだった。アンはもとより、さいごのかぐやまで。ほかのすべての主人公は、原作があってもなくても、大人になりきれない高畑勲その人だった。そう私は、ずっとみていました。
だから惹かれたんだとも。いまは思います。

 もしかしたら、宮崎さんが高畑さんを好きで、おわりまでいっしょにいたのも、そうなのではないかなあとも、少し思っています。


 ほんとうなら、お礼の言葉で終わるのですが、言いたくないので書きません。

 それを言うと、消えてしまうような気がするからです。

 ほかの、亡くなった際にお礼の言葉を言った、影響を受けた表現者の方々に、ある意味失礼にあたるのを承知でこう書きました。まだ消えて欲しくないんです。私のなかで、まだ納得できないんです。
 
 2014年の暮れ、父親が死んだとき、私ははじめて死にたいと思いました。それは、自己分析をすると、けっきょく、心の底の底の、ほんとうの創作動機、生きる意味は、創作を通して、父親に認めてもらいたかったからでした。もう創る意味はない、なにかを目指す必要もない、だから死にたいと。それが分かってしまった。
 けれど死にたいと言っても、自殺するようなつもりはなく、だから死んでもいい、という感じになり、そんなことを思っても日々は訪れ、やるべきことはあり……、。そんなうちに少しずつ立ち直り、またとぼとぼ歩いて行こうかな、どうせほかの歩き方を知らないし。と思っていままで来ました。

 けど、高畑さんがいなくなったと知って、死にたい、死んでもいいが吹き飛び、悔しさと、かなしさと同時に、かつての情熱が顔面を殴りつけ、優れた表現者がこの世から消えたというのに、なんだ俺は……。たいしたことない分際で、死んでもいいなんて思えるほど、なにかしたか!? いう想いが胸をえぐりました。

 そもそも優れているとか優れてないとか関係なく、生きて自分の想いを果たせ。それが人間の自然の姿だ。……そういう大仰なことは言わないでしょうが、高畑さんは、自然に、自然として、死ぬまで生きた人だと思います。

 だからもうちょっとがんばろうと思いました。でも、いなくなったことは、まだ認められません。
 だからお礼も言いません。
 現実につきあってきた人たちは、いなくなった現実を受け止めざるをえないと思いますが、私は、作品のみを通しての、20年ほどのおつきあいです。

 まだいなくなっていません。耐えられないんです。

「俺の生まれた1979年はなあ、赤毛のアンが放送された年なんやで!」

 そんな阿呆みたいなことを、自慢に思う人間です。


 高畑勲様。

 貴方は私にとって、アニメーションという優れた表現があることを教えてくださった恩人です。
 

 どうかやすらかにお過ごしください。
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